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第四回森林身体ワークショップ「森林でお月見」レポート

9月1日、2日に第四回森林身体WSが開催されました。
今回は参加してくれたあゆみちゃんが書いてくれた臨場感あふれるレポートです!!
どうぞ。

●『森林身体ワークショップ・テーマは「森でお月見」』報告書●

太極拳を3年ほどかじっている。ヨガは一年半。最近は山登りの面白さを知った。身体を動かすというただそれだけで、心の持ちようは変わる。強くイメージすることで、身体はそのとおりに動く。心が先か、身体が先か、それはわからないけれど、一方でどんなにがんばっても身体以上のことはできないと感じた。身体が広がれば、心も広がる。この身体の可能性をもっと広げたいと思った。そんなとき友人から“身体感覚を高めるワークショップ”に誘われた。森に入って木を切ったり、踊りを踊ったり。普段とは違った身体の動かし方を通じて、新しい身体感覚を得るんだとか。
半信半疑のまま、気がつけばバックパックに防寒着と寝袋を突っ込み伊豆高原までやってきていた。

●未知の世界へ分け入る
 大室山からほど近くの山道を分け入ると、15分でひんやりと湿った杉林が現れた。ここに総勢24名がテントを張るらしい。荷物を下ろして集合するとまず水汲みへ出発。なるほど。米を炊く水も山で確保するのか…。
今回の森林ワークショップの先生、山に入って50年の錬堂さん曰く、山の水場は太陽をたっぷり浴びた落葉樹の茂る東南の斜面を探すそうだ。落葉樹のまわりでは堆積した腐葉土が雨水を貯め、ろ過された美味しい水に出会える。そんな場所は、山を見上げればこんもりと緑が濃い。
斜面を登り、奥へ入る。太い幹がグネグネとうねり、葉を広げる。岩場一面に密生するコケが水場の近いことを知らせている。やがて大きな石の転がる緑の広場に出た。これが沢の跡らしいが、水の流れはない。水たまりを掘り返し、湧き出る水が澄むのを待って、ペットボトルに詰めていった。
「3年前は水が流れていた。なんか山がおかしくなっているなあ」と錬堂さん。
成長しきった杉がコストや輸入木材の増加で伐採されないまま放置されている。陽の光をさえぎられて草や潅木は育たず、土はやせ保水能力を失う。やがて日照不足で杉自らも腐り、温暖化が拍車をかけて次々と倒れるだろう。見渡せばいちめん緑のこの場所でさえ、森は失われ始めているのかもしれない。
キャンプ地へ戻ると、かまどを作り、火をおこし、賑やかに夕飯の支度が始まっていた。
箸は木の枝、皿は木の皮。二合炊きの飯ごうで三合以上の米を炊いたうちの班は、あふれ出んばかりの白いご飯。持ち寄った缶詰をまわして3人でひとつの飯ごうをつつく。やがて日は落ちて、焚き火が顔を照らし出した。
●夜の森に包まれる
気がつけば酒の入ったカップが回っている。パチパチとはぜる火を囲んでハーモニカが始まる。ほろ酔いで歌をうたって、夢を語って、ゆるりゆるりと長い夜が始まる。
時折サワサワと木の葉が鳴り、冷たい風が流れていく。遠くで一声鹿が鳴くと、それに応えるように四方から声があがった。
「森の精霊はいるんですかねえ」と誰かがつぶやく。「まあ、そのうち来るかもしらんなあ」。
 森との距離が近づいた夜。こうして火を囲んでいると精霊はいるかもしれない、と思う。いない方が不思議な気がしてくる。
  一人二人と人が減り、真夜中にテントに戻る。ライトを持たない私の前に広がるのは木々のシルエットさえ見えない真の闇。手探りで進み、白く浮かぶ何かに歩み寄り手を伸ばしたが何もない。テントを見つけたい一心が見せる幻なのか。
奇跡的にたどり着いた真っ暗なテントで瞬時に眠りに落ちる。やがて弱く、白い光に包まれて目が覚めた。テントから顔を出すと、ひやりとした空気の中に青白く浮かぶ杉林。木々の間、うす曇りの空に弱く光る白い半月。
ああ、テーマは森でお月見だった。なるほどなあ。これがきっと昔の人が見ていた月。弱い光がこんなにもありがたく、手を合わせたくなる。そういえば、うちの田舎では月のことをのんのんと拝む。“のんのんさま”と言ったっけ。
●森林伐採で知る新たな身体の使い方
 あまり眠ってないのに元気な二日目。今日の予定は森林伐採NPO団体「伊東山里クラブ」さんの山道整備の手伝いだ。太い木から丸太を、細い木からは二本の杭を作り、トレッキングコースに足場となる階段を作っていく。
 木を切るなんて生まれて初めて。まず地面と平行にのこぎりを入れる。それすらおぼつかず、力を込めるほどに歯は動かない。斧を振り下ろせば同じところに当てることができず、すぐに腕がしびれてしまう。
「腹を意識して」「大地の力を使う」「腕で振らない」
 アドバイスの意味が、斧を振るうちにわかってくる。踏みしめる地面から返ってくる力、身をねじったとき戻ろうとする力、それから遠心力。硬くならない、力まない、身を任せてそのまま切る。道具を身体の延長としてとらえることで、力の流れがスムーズになる。やがてミシミシと木が小さく鳴る。「いくぞぉ!」と叫ぶと、気持ちいいくらいに思いっきり木は倒れていった。
「ヨガやってるより、よっぽど丹田がわかるでしょ」と言われて、森林身体ワークショップの意味を知る。のこぎりのひき方、斧の振るい方、丸太のかつぎ方…。必要なのは、力の強さじゃなくて使い方ってこと。こういったことは身体を動かさないと学べない。
●DON‘T THINK ,FEEL
いったん解散の後、午後からは希望者のみのワークショップ。「神社で“天風地の舞”の練習をする」と言われても、何をするのかはさっぱり…。歩いて移動する途中、空気の変わり目を感じる。「ああ、もう神社が近い…」とわかるのは、山ごもりで感覚が鋭くなっているせいだろうか。
 現れた鎮守の森の澄んだ空気に深呼吸をひとつ。境内はひんやりとして、裸足になった足の裏がチリチリする。こんどは身体ワークショップの東出先生の指導の下、自律神経を活性化させて身体を動かすためのワーク。そして三人一組になって“天風地の舞・三の舞”といわれる踊りの練習に入った。
 三角形に向かい合い、互いに両手に持つ縄でつながる。ひとりがゆらりと動けば、それに連動して自分も動く。誰かが誰かに依存し、引っ張られ始めると、三人の動きはバランスを崩してぎこちなくなってしまう。感じるままに動き始めると感覚は延長され、三人でひとつの身体を持つかのように動きは滑らかに。加速する動きのスピードに、大脳の思考はついてこられない。身体が脳を追い越していく快感。
 そしてその感覚を保ったまま全員が寄り集まり、神社の階段を登る。誰が先導するでもなく、イワシの大群のように自由に入り乱れて移動する。この感覚。人の交錯する東京駅で、誰ともぶつからず目指す方向へ行けるとき、おそらくこのスイッチが入っているのだろう。
 最後に以前から天風地の舞をやっているメンバーの三の舞を見る。三人がつながってただ動いているだけなのに、しっかり“舞”になっている。無意識の動きとでも言おうか、必然の動きとでも言おうか…大脳の先導しない動きは気配がなく、美しい。二日間のワークショップの最後にふさわしい、“身体の可能性”を感じた舞だった。
私たちは街という限られた空間で、限られた身体感覚だけを使って生きている。けれども、人間の身体はもっといろんな可能性を持っている。これが、今回のワークショップを体験して得た実感。でこぼこの地面を歩き、木を切り倒し、暗闇でテントを探すには、街の生活では使わない“動き”が必要だった。のこぎりの歯が自在に動いたとき、丸太を軽々かつげたとき、三人でつながって踊ったとき、私の感覚は広がった。それは、ずっと昔、初めて自転車に乗れたときの感覚に似ていたかもしれない。
フィールドを広げ、新しい目的を与えることで、身体は今までにない動きを獲得する。身についたパターンは応用され、組み合わされ、連動してどんどん感覚と思考の領域を広げて行く。それを垣間見た二日間を経て、目の前に広がる可能性にワクワクが抑えきれない。


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2007年10月02日 20:46に投稿されたエントリーのページです。

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